アイデアを公開しない理由2つに対する反論
作りたい物が増えても作業に当てられる時間がないのもあって、「やりたいこと・作りたいものリスト」を作って公開することにしました。
kikuchy のやりたいこと・作りたいものリスト #fromEvernote https://t.co/Bf9wnQllSA masuidriveさんに習って公開してみることに。これから随時追加予定。
— 菊池紘 (@kikuchy) 2013, 11月 29
「こんな感じのものをどこかで見た!」
「一緒に作りたいから詳しい事教えて!」
「作っちゃった!」
とかありましたら、是非教えてください。 @kikuchy にリプライを飛ばしていただくか、Facebookでメッセージを送っていただくかしていただければ喜びます。
ちなみに、元ネタは @masuidrive さんのmasuidriveの作りたい物&試作品リストです。
さて、 @masuidrive さんみたくアイデアを公開する人も居れば、一方でアイデアを公開したがらない方もいらっしゃいます。
どうしてアイデアを公開しないのでしょうか。
実際に私が聞いた事、よく言われることについて、私なりの反論をしたいと思います。
理由1: 折角お金になりそうなのに、他の人に見せて盗られたらもったいない
反論: 「それ本当にお金になるの? あなたが勝手に『価値がある』と思い込んでいるだけじゃないの?」
どんなに素晴らしいアイデアであっても、基本的に
アイデアそのものに価値は無い
と、私は考えています。
ただし、アイデアに一定の条件が付随する場合を除いては。
ではアイデアが価値を持つのは、どのような時なのでしょうか。以下のうちの一つ以上が付随している場合だと考えています。
- アイデアが実現されている
- アイデアが実現されかかっている
- アイデアの全体像を持っている人物が、アイデアを直接実現できる能力を持っている
- アイデアの全体像を持っている人物が、アイデアを直接実現できる能力を持っている人物を味方に付けている
- アイデアが実現された場合に、社会に与えるインパクトが明確である
- アイデアが実現された場合に、そのアイデアを見聞きした人に与えるインパクトが明確である
なお、上から、価値の大きい順に並べています。
基準は、アイデアの全貌と可能性をどれだけの人に伝えられるか、または伝えられる可能性があるかになります。
アイデアが実現されていれば、そのアイデアの価値は余す所無く伝わるでしょう。
プロトタイプが出来ていれば、かなり多くの人に伝わるかも知れません。
モノが無ければ、完成予想図をより正確にイメージできる人が「作れる」と宣言した方が、価値は想像しやすそうです。
それも無ければ、完全に妄想になります。
あなたの妄想にお金を出してくれる人が、どれくらい居ますか?
「自分のアイデアに価値が無い、なんて事は無い!」
と、言い切るのであれば、そのアイデアを公開してみせてくださいよ。
盗まれたのなら、それは価値のあるアイデアだと誰もが認めるでしょう。
結局の所、アイデア自体に価値なんてモノは無くて、
それを実現するために流れた汗水か、その汗水を流せそうな人に価値があるのだと思います。
然るべき人にアイデアを渡して価値を高めてもらった方が、そのアイデアにとっても幸せなのではないでしょうか。
理由2: 大したアイデアではないから、もうちょっと練ってからにしたい
反論: そんなものアイデアでも何でも無いから捨ててしまいなさい。
日本人にありがちだと思います。
何故かこんな思い込みがあるのですよね。私にもあります。
人様に見せるものは完成度が高くなければいけない
自分への戒めも兼ねて言いたい。
そんなことはない。
初めから完成度の高い物なんてなかなか作れる物ではないのだから、さっさと公開して、あちこちから意見をもらって完成度を上げて行けば良いはずなのです。
え、なに、「叩かれるのが怖い」?
「大した物ではない」とか言いながら、自信満々じゃないですか。
プライドを守りたいが為に誰かの助けになるかもしれないアイデアを公開しないとしたら、それはもはや罪ではないでしょうか?
というより、恥ずかしがるほど完成度が低いのなら見向きもされないので、その辺の、人の目に触れるところに放っておいても良いのでは?
万に一つくらいの可能性で、そのアイデアに価値を見いだしてくれる(与えてくれる)人が居るかもしれませんし。
本当に大した事のないアイデアだと思うのなら、それに時間を割くだけ無駄ではないですか?
謙遜でそう言っているだけならば、さっさと実現したら良いのです。
あなたでは実現できない? ならばそれはあなたが持っていても豚に真珠なので、実現できそうな人にシェアしましょう。
4年ほど前の自分へ。
乱暴な書き方をしてきましたが、そうでもしないとあなたは考えを変えないでしょう。
もっと大勢に言いふらして、残るようにネットに書き込んで、もっと実現可能性のある人にアイデアを託せば良かったのです。
そうすれば、もしかしたらGoogle Glassのような機械の第一号は日本から出ていたかも知れないのに。
というより、
「アイデアが実現されて誰かが喜ぶのなら、それは自分以外の誰かが実現したって構わない」
と考えられなかったのは何故だろう。
もちろん、自分で実現したアイデアで人が喜んでくれるのを見るのは至福ですが。
けれど、やろうやろうと思っていて結局死蔵するよりかは、他の誰かに託した方がずっと良いと思うのだけれども。
読んでくださったあなたへ。
何か面白い事を起こせるアイデアを持っているのならば、是非実現してください。
幸いな事に、近々 Digital Youth アワード という、アプリケーションのコンテストがあります。
アイデアの価値を世に問うならば、絶好の機会です。
是非エントリーを!
アイデアを実現する能力が無いならば、実現できそうな人を探してください。
難しいのは分かっています。アイデアマンに比べてエンジニアの人数比率はとても小さいのです。
ですので、Microsoft Student Partners では、今後、アイデアマンとエンジニアを結びつける施策を打って行く予定です。
乞うご期待。
また、 Digital Youth アワード にはアイデアだけで応募できる部門もあります。
磨きに磨けば、そのアイデアにも価値を認めてもらえるかも?