Kikuchy's Second Memory

技術のこととか、技術以外のこととか、思ったことを書き留めています。

本能的な忌避感と穢れの概念

なんとなく気づいたけどTwitterに流すと流れて消えてしまいそうなこと。

「髪とか爪とか、人の体の一部である時はそうは思わないんだけれど、人の体から離れると気持ち悪く感じますよね」
という話を昔職場で聞いたことがあります。
その時は確かにそうかも、と思いました。

実家で暮らす私の弟は風呂掃除係なのですが、排水口の掃除を意図的に時々サボります。
曰く、「ネットに引っかかってる髪を触りたくないから」だそうで。
まあ気持ちはわからんでもない。髪が絡まって溜まってるところには石鹸カスもたまるし水気も多いし、雑菌が繁殖してそう。それはそうとして掃除はしろ。

また別のところでは、「部屋に現れたゴキブリがベッドの上を歩いてくれたのでシーツを捨てた」という話も。
捨てるのはやりすぎでは、と思いつつも、上記の二つと合わせて考えると、ピンとくるものがありました。

「穢れ」の概念です。
これらに共通する嫌悪感が「穢れ」なのではないでしょうか。

昔々その昔、まだパスツールが細菌を発見するまでの、目に見えない小ささの生物が病原体である、ということをまだ人類が知らなかった頃。
人々は「穢れ」を祓うことで病気を回避できると考えられてきました。

もちもん細菌やウィルスは「穢れ」の一種で、禊はそれを水などで洗い流す行為ですから、禊によって一部の病気を回避することができていたのでしょう。
そして、人々はそれに気付いていたのでしょう。

ではなぜ「穢れ」を感じることができるのか。
それは「そうしたものに忌避感を覚える個体が生き残ってきたから」ではないでしょうか。淘汰圧ってやつです。

人体から離れたもの(髪とか爪とか)を忌避する個体は感染症にかかる可能性が低くなり、結果的に忌避する傾向のある個体が生き残った。

ゴキブリも感染症を媒介する害虫です。サルモネラ菌などを媒介しているそうですよ。

そう考えると、(主に衛生的な理由による)忌避感が「穢れ」の正体なのではないでしょうか。

一昔前の過剰に放射性物質を怖がってガイガーカウンターを携帯する方々、最近のコロナウィルスを過剰に忌避して何でも消毒しようとする方々は、ある意味で最も生存に適した形質を持った方々なのかもしれません。

ただまあ、その「穢れ」の正体がわかっていて、病気にならない方法もわかっているわけですから、過剰に怖がらず、かと言ってみくびりもせず、適切に対処していきたいものですね。